全国黄色いハンカチ推進本部とは

知ってください。黄色いハンカチを振るのはSOSの合図です。

黄色いハンカチは、障害者、何らかの持病がある方、高齢者が、誰でも外出先で発作などに襲われて声を出せない時、手を貸してください、という合図の印なのです。路上などで黄色いハンカチを振っている人を見かけたら、「どうしました?」と声をかけて、必要に応じてすぐに救急車を呼んでください。NPO法人「黄色いハンカチ推進本部」は一般の人々にそれを知ってもらうために活動しています。この活動は、35歳の時、重度の心臓病に冒された宇野弘信(2005年2月没)が、その体験から1988年4月にスタートさせたもので、「誰もが安心して歩ける世界にしたい」をモットーにしています。

Do you know what the yellow handkerchief means ? It is a signal from a person in danger, unable to cry out or utter words, calling for your help. When a handicapped person, an older adult or a person with chronic diseases fall ill on the streets, they will wave yellow their handkerchief to let us know they may be in critical condition. If you happen to see someone showing a yellow handkerchief on the street , would you ask what is the matter with him/her, and in case of danger, call an ambulance?
Kiiroi Hankachi Suishin Honbu [The Headquarters Promotion of Use of Yellow Handkerchief ] is a NPO engaged in activities to promote the use of yellow handkerchief as an SOS signal and raise public awareness of such use.
This mutual help campaign was started by Hironobu Uno and made into NPO in April 1988. Uno developed a serious heart trouble at the age of 35 and passed away in February 2005.
The NPO’s mission is “ Let’s make a better world where people help each other and everyone can feel safe to walk around.” We hope you will understand and join our activities.

法人概要

名称 特定非営利活動法人 全国黄色いハンカチ推進本部
所在地 栃木県大田原市福原1881-5
役員 理事長   サトウ ワカバ
連絡先 TEL/FAX 0287-28-3480
設立年月日 2004年4月

成立趣意書(NPO)

黄色いハンカチ運動は、障害者はもちろん、老人・持病がある方、健常者、すべての方々に、 外出先で困ったときに「手を貸してください」の合図を知って頂く活動です。 昭和63年からスタートし、現在まで全国に多くの賛同者が増え"出来る人が出来る時に、 出来る事をする"ことをモットーに活動しています。

小・中学校においても「人が人を支え合う事の大切さ」「人を思いやる心を育てる」 という呼びかけに、副読本・福祉モデル校・総合学習・文化祭などに取り上げて下さるようになりました。

「黄色いハンカチはSOSの合図(ポプラ社刊)」は平成13年千葉県の小学校の夏休み感想文題材に、 平成14年には新潟県県の小学校の夏休み感想文題材に選ばれました。 また、最良図書に推薦して下さっている県もあります。

昭和63年から17年間、内部一級障害者の体にムチを打ちながら活動を展開してきましたが、 提唱者が高齢になり、体力が衰え無理がきかなくなってまいりました。

そんな時賛同者の皆さんから「特定非営利法人(NPO)にされては・・」
のお声があり、提唱者自身、年齢、体力等を考えると
「次の世代に託すには・・・」
「次の世代を育てたい・・・」
と考えまた強く願いNPOになる事を決意しました。

「人が人を支え合う」その大切さを次の世代に伝えていこうと、心から願っています。

平成16年 6月

スタートは一人...

提唱者 宇野弘信先生は第一級障害者

シンボル犬フク

(画像 ・ シンボル犬 フクちゃんと一緒に)

内臓疾患の一級障害者のため、外見からは健常者とまったく変わらないしかし、階段は一段登っては休み、また一段登っては休みし、駅の階段を登り切るまでに、健常者の数十倍の時間がかかる。

障害を持つ人には、街の中は地獄・・・外出は愛車が多い。ある日、運転中パンク。窓の外は霙。手を振っても振っても、対向車のドライバーは、チラッと見てはいくが、走りすぎて行く…「これではダメだ…」

今度はタオルを振ってみる。1台・・2台・・・3台・・・・5台。「どうしました?」5台目のドライバーが声を掛けてくれた。
 ”パンク”したことを告げ、手を貸して欲しいと頼むと、外見は丈夫そうな宇野先生の姿を見て「パンクくらい自分で直しな!!」と、走り去って行った。天気は霙から雪に変わっていた。

「このままでは…」どうしたら分かってもらえるのか。「これしかない!」紙に一級障害者の手帳を貼り付け「手を貸してください」の用件を書き、パンクした愛車の前へ立つ。

1台の車が止まり「次のエリアで電話してあげますよ」やっと助け舟。

ある時は駅の階段で息が苦しくなり、しゃがみ込んで倒れた。意識はあるが声がでない…
 目の前で幾人もの足が見えるが、止まってくれる様子はない。
「いやねぇ、こんな昼間からお酒に酔って・・・」
 そんな声が耳に入る。
 誰一人として声をかけてくれない・・・・
 そんな経験から「黄色いハンカチ運動」が生まれた。

昭和63年「黄色いハンカチ運動」のキャンペーンが始まった。

あゆみ

総理府(後援)正面玄関
平成元年3月7日
当時の小渕官房長官から激励の言葉を受けた

当時の福島県知事のメッセージ(各県知事宛の”黄色いハンカチ”協力願い)を携え、 手作りの黄色いハンカチ5千枚を持参し、一人で愛車「さわやか号」に、酸素ボンベを 積んで全国を訪ね、黄色いハンカチの協力を呼びかけた…が、北海道キャンペーン中、 発作に襲われ東京に戻り、2回目の大手術を受けた。

「キャンペーンは無理!」とおっしゃる担当医に「死んでも一切の責任は問いません」 の一筆を残し、平成元年”死を覚悟”のキャンペーンを再開した。

キャンペーン中、何回も酸素ボンベに世話になりながら、夜、宿に戻ると連日の強行軍 で手術間もない胸の傷跡から出血し、下着が真っ赤に染まっていた。

私財投げ打っての一人ぼっちのスタートだった「黄色いハンカチ運動」も、今全国、 たくさんの方に賛同を受けています。

 しかし、「黄色いハンカチ運動」をまだ知らない方がたくさんいます。少しでも多くの方に 「黄色いハンカチ運動」を知ってもらい、その意味を理解して頂きたい。

提唱者宇野先生の 今も変わらない願いです。

宇野弘信経歴

昭和7年 2月29日、福島県須賀川市に生まれる。

35才の時に発病、2回の大手術を受ける。

【昭和53年3月14日 第一回目 東京女子医大 にて、大動脈弁僧帽弁置換】

【昭和63年9月14日 第二回目 再度手術】

心臓機能第一級障害者(増帽弁大動脈弁置換)

黄色いハンカチの提唱者であると共に、『宝石画』の考案者でもある。
大手術後、4日間にわたり生死の間をさまよった時に幻想に見た観音像を、 宝石画(横1,2メートル 縦1,5メートルの大作)にし、鹿児島県内の 筋ジストロフィーの国立病院へ願いを込めて寄付。

新聞掲載記事

また、「棒タイ」の考案者でもありました。
昭和42年3月 帝人(テイジン)退社

提唱者・宇野弘信、脳幹梗塞により平成17年2月8日午後2時16分、逝去。